澤部渡のポップ・ユニットであるスカートが、ひっそりとその姿を世間に現したのは2010年12月15日のこと。当時、澤部は昭和音楽大学の4年生で、宅録や仲間たちの手を借りて卒業制作の代わりのように作り上げたのがファースト・アルバム『エス・オー・エス』だった。自主制作で発売されたそのアルバムは、すぐに大きな評判を呼んだとは言い難い。しかし、澤部が足繁く通っていた中古レコード店〈COCONUTS DISC吉祥寺〉のブログでMV「ハル」が紹介されたことが、注目のきっかけを作った。堂々とした体格に繊細な内気と音楽で生きる決意の両方を秘めた彼(澤部)の歌には、ポップスに必要な切なさと甘さと切迫感がすべてあった。単なる耳年増なポップオタクが作る音楽とは、その時点で明らかに一線を画していた。
最初に音楽的な目覚めを与えられたのはテレビで見た光GENJI。ギターを手にしたのは小学生のときで、きっかけは、ゆずを好きになったことだった。
その後、NUMBER GIRL、yes, mama ok?、パラダイスガラージ(豊田道倫)、ムーンライダーズといった日本のバンドが、10代の澤部の耳をとらえてゆくことになる。ちなみに、澤部が初めてライヴハウスに行ったのは中学生で、yes, mama ok?のライヴだった。また、音楽好きだった母親の影響でXTCなど洋楽も聴きはじめている。母親が家に持っていたレコードを聴くことで、自然と澤部のアナログ・レコードへの興味も育っていった。
「NUMBER GIRLはかっこいいなと思って、ずっと家でも聴いてて。そしたら、ある日、母親が突然ガラガラガラッと戸を開けて、「これを聴いてるんだったら、おまえ、XTCを聴け!」って言って『ドラムス・アンド・ワイアーズ』(79年)を手渡されたんです」(澤部)
そして、16歳で澤部は日本語のオリジナル曲を作り始めた。
高校卒業後、昭和音大に入学した澤部は、〈スカート〉を名乗って活動するようになった。澤部の恩師とも言える牧村憲一の講義(音楽史概論)も、澤部には大きな刺激となった。スカートのキーボードを担当する佐藤優介はおなじ大学の2年後輩で、大学時代に二人は知り合っている。
ごく初期には、スカートはバンドで活動した時期もあったそうだが、メンバーが離れ、結果的に個人ユニットというかたちで制作したのが『エス・オー・エス』だった。
2011年12月15日、24歳になった澤部がリリースしたミニ・アルバムが『ストーリー』。これが、スカートの評価を高める決定打となった。佐久間裕太(ex.昆虫キッズ)、清水瑶志郎(マンタレイバレエ)、佐藤優介(カメラ=万年筆)という固定メンバーを迎え(2014年からは、パーカッショニストにシマダボーイも参加)、初めてのバンド編成でのレコーディング。スタジオ代わりに使用された南池袋にあったライヴハウス〈ミュージックオルグ〉は決して恵まれた環境とは言えなかったが、独特の熱気を作品に吹き込んだのかもしれない。卓越したポップ・センスとこだわりの楽曲構成に、バンドとしてのたくましいグルーヴが加わることで、スカートの音楽にあらたな生命が吹き込まれた。とりわけ名曲「ストーリー」は大きな評判を呼び、『ミュージック・マガジン』など音楽メディアでも高い評価を獲得。作品のセールスも飛躍的に伸びた。
その後のスカートは、バンド編成でセカンド・アルバム『ひみつ』(2013年3月3日)、ミニ・アルバム『サイダーの庭』(2014年6月4日)と順調にリリースを重ねる。無類の漫画好きでも知られる澤部は、毎年4回開催される自主制作漫画の販売イベント〈コミティア〉にミュージシャンとして参加し、デモCD-R、ライヴ盤、コードブックなども制作販売した。また、この前後から、澤部が敬愛する先輩ミュージシャンとの交流も本格化してゆく。13年12月にリリースされたカーネーションのトリビュート・アルバム『なんできみはぼくよりぼくのことくわしいの?』では、佐藤優介と共にアルバムの発起人を務めた。音楽活動を本格的に再開した川本真琴のバンド〈ゴロにゃんず〉、西村ツチカら漫画家やデザイナーなど友人たちと結成したバンド〈トーベヤンソンニューヨーク〉へのメンバーとしての参加、カーネーション以外にも、かしぶち哲郎、ムーンライダーズといった敬愛する先輩アーティストのトリビュート盤への参加、(((さらうんど)))、Negicco、南波志帆らの作品への楽曲提供や編曲、演奏などを通じて、澤部の才能はポップ・シーンにさらに拡散、浸透をしていった。
2014年12月1日には、〈カクバリズム〉から12インチ・シングル『シリウス』がリリースされる。これまで自主レーベル〈カチュカ・サウンズ〉から作品を送り出してきた澤部にとって、これもひとつの大きなステップとなった。2016年4月20日には、満を持してのサード・アルバム『CALL』をカクバリズムからリリース。発売直後の4月22日には、テレビ朝日系『ミュージックステーション』にスピッツの新曲「みなと」のバックで、口笛とタンバリンで出演。レコーディング自体は、スカートのアルバムとはまったく別の縁から実現していたものだったが、画面を通じた存在感から「あの人は誰?」と大きな話題を呼び、翌週の放映では小特集も組まれた。そして、実際に『CALL』はスカート史上最高のセールスを記録した作品ともなった。
「ずっと“売れたい”という言いたい気持ちに対して、自分が置いてきぼりになってたんですけど、それがようやく追いついた気がするんです」(澤部)
16年11月には、シティポップ的なサウンドに向かったシングル「静かな夜がいい」をリリース。年が明けて17年になると、山田孝之主演のドキュメンタリー『山田孝之のカンヌ映画祭』(テレビ東京系列/2017年1~3月)のエンディングテーマとして「ランプトン」が流れ、さらに吉祥寺の井の頭公園を舞台にした映画『PARKS』(瀬田なつき監督/2017年3月公開)では新曲「離れて暮らす二人のために」を公園で弾き語りするフォークシンガーとしての出演も実現した。スカートをめぐる、そんないい流れの中で、『CALL』から1年半という比較的早いスパンでの4th アルバム『20/20』がPONY CANYONから発売される。
『CALL』を発表したとき、10年続けてきたスカートの音楽の最初の一区切りができた手応えがあると澤部は語っていた。だとしたら、新作『20/20』は次のスカートへのつなぎ目であり、新たなスタートラインでもあると言えるはずだ。そして今、“視界良好”にひらけた場所で、あたらしいスカートが鳴り響くのを、誰もが待っている。
文:松永良平